コダマ凛ーコンセプトー変容すること
瞑想は私たちに無意識の悪魔との対峙を行う勇気を与えます。現実世界の中に私たちの無意識を投影するのでなく、心で向かいあうことで私たちは私たちが肝心なことに取り組む余地を作り出していけます。変容すること、私たちがなおざりにしているうちなる心の海をいく筏、オールを持つことができます。
下記は、カールフリード・グラフ・デュルクハイム「変容の方法」からの一節です。
私自身も人生は勇気を持ち、自分自身の人生のオールを持って、大海原を進んでいくこと。そこが荒々しくとも。しかし、その荒々しいと思うイメージも自分が作っているということに気づいていること。
私たちは心の葛藤、アストラルの渦から離れることによって、そこに安静と静寂を見出すことができます。
真に道を生き、世の中で辛い目にあっている人々は自分に避難所と心地よさを提供し、結果として、自身の古い自己を残存させようとする方向にはいかないでしょう。
それよりむしろ、彼は誠実で容赦なく、彼自身にリスクを冒すことを助けてくれる人を探し出すでしょう。
そうする事で、それを通して、彼はその苦難に耐え、勇ましく乗り越えていきます。
そのようにして「遥か遠い彼岸へ導くボート(いかだ)」を作ることができます。
人は、何度も繰り返して絶滅に身をさらされた時にのみ、不滅のものが彼の内に生じ得るのです。
ここに勇敢さの尊厳が存在します。
従って、実践の目標は、何も常に彼を悩ますことがない調和と平穏の状態を得ることを可能にする在り方を発達させる事ではありません。
それどころか、実践は、自分が非難され、混乱させられ動揺させられ、侮辱され、破壊され、打ちのめされるままになることを教えるべきものです。
すなわち、それは調和、痛みからの回避、そして心地よい生活の後にくる自分の虚しい渇望を進んで手放すことができなければなりません。彼に反対する力との戦う中で発見するであろう。二極性の世界を超えて彼を持つものを発見するために。
最初に必要なものは、人生に直面し、かつ世界で最も冒険的で危険なもの全てに対峙するための勇気を持っているべきという事です。
これが可能な時、瞑想は、それ自身が、無意識から浮上してくる悪魔を受け入れ迎え入れる手段となります。
そのプロセスは、そのような力に反対した防備としての、同じ対照に対する集中の実践とは大変違ったものとなります。
私たちが果敢にも、絶滅の域を繰り返し通り過ぎていく時だけ、消滅を超えた聖なる存在との私たちの接触は、確固たる安定したものとなります。
こちらのブログもご覧ください。







