太宰治さんの評論含めて読みました
他にも三本ありましてよろしければ是非。
ホロスコープ鑑定)太宰治とケンタウルス族)正しい考えを求めたケンタウルス族ー墜落について
重複するようなところもありますが、どうかお付き合いください。
太宰さん呼びをさせていただいています。
占星術の記事なので少し解説。
大まかに占星術は月、太陽、土星のラインが人生を形成します。
太宰治さんは、月が蟹座
太陽が双子座
土星が牡羊座。この蟹座には金星、海王星などもあり、いわゆる出身地青森の土地の名士でもあるようです。行動的で改革的な要素もお持ちのようでもあります。
太陽は個人の可能性を生きるサインです。そしてここからも文才を感じることもできます。
土星は牡羊座、開拓者精神。
しかしこの土星が蟹座を傷つけてしまいます。
蟹座ラインに土星(秩序)と天王星(分離)があり、戦後の農地改革などで家の立場が落ちていくのを感じざるを得ません。
若いころにも兄の問題があり、議員家系であったのだけれども辞職に追い込まれて、このままではダメだ、作家として頑張らねばという時期がありました。
今回はその時期、土星回帰でもあった姨捨に描かれた体験についてまとめてみます
太宰治、本名は津島修治
しばらく繰り返しの内容ですがお許しを、少し詳しくなります。
夕暮れ生まれという情報があります。それは太宰が自分自身の生まれについての疑問を持っており、本当の母親は誰なのか?という不安を抱えて過ごしていた時期があるようなのです。母親が病弱で、離れてくらしており、太宰の世話はおばさんや手伝いの者が世話をしていたということからも本当の母親はおばさんではないかという疑問を持っていたようです。それはもしかしてちょとした脚色?
月は蟹座、金星は月に重なり、とても女性的であり、幼い頃に女性がそばにいた。
夢や幻想の海王星も重なりますので女性的なものへの思慕が強い。女神化とも言える印象。女性の存在が儚くて社会的に弱いと思うような女。
この生まれ時刻であるとすれば母子密着型でもあるのですが、幼い頃は母以外の女性が周りにいたようです。
月は蟹座にあり、人懐っこい。しかし・・・
太宰治氏が実母が病であったので、青森と東京と言うふうに離れており、幼い頃は叔母とお手伝いさんのに育てられていたようです。しかし叔母の結婚、転居により二人とも離れてしまい、いつも一緒にいた2人がいなくなったことでとても寂しい思いをしたようです。
蟹座は、母なるサイン(星座)と言われているくらい女性的なるものと深いつながりがあります。
蟹座は共感すること、されることを大事にするサインですので、周りに自分を理解してくれるわかってくれると言う感覚がなければ、絶交だというほど他者との親近感が大事で、その感情的な繋がりを感じれないと、とても孤独を感じてしまいます。
自分と違う感情を抱いていることを知ると、とても傷つくサイン(星座)でもあります。
これは太宰治がそのような人でもあるし、そのような女性と縁があります。女性として、妻として甲斐甲斐しく世話をしてくれる女性、良妻賢母と言う女性を求めます。
そして気になるのが火星が魚座と言うことで、犠牲的な姿勢を求めるかもしれませんし、入水自殺を繰り返しているということも、この火星が魚座と言うふうにも思います。
魚座の火星は太陽双子座とスクエアという関係で、その犠牲精神ややさしさが裏目にでやすいですし、次の日には気持が変わる可能性を秘めています。
双子座には水星(コミュニケーション)があり、特に太陽よりもこのコミュニケーションにいつも葛藤があります。
嘘というか虚飾が入る可能性。かわいそうな雰囲気とか。
周囲の人をもてなす(蟹座)面白いひと(双子座)ですが、馬鹿にされている(魚座と双子座)ように感じます。攻撃されている。それも貶められているように感じる。
この星の配置をコントロールできるようにならないと、言動と行動がちぐはぐなのです。
本気でしょうが、幼いころに嘘をつく子供だったともいわれます。しかし現実と思いの境界が取れてなかったかもしれません。
悪く出ると演技で人を引き寄せようとする人にもなってしまいます。
太宰治ー月から垣間見る女性との関係
一人目の妻、内縁の妻であったようですがこの方が芸者さんであった。その苦界で働く女性を救うのだという意識が太宰にはあったというのもこの配置からはわかるように思います。
女性とは救われない。とても社会的に弱い存在であり、この時代は貧しかったら苦界に落ちるのです。
自分自身はお金持ちの息子ですので,勘当されかかっても無理やり結婚して救おうとします
蟹座の反対側には天王星山羊座もあるので旧態依然として環境の中で改革者、変化を起こします。そして人騒がせです(言い切っちゃいますが)
月には海王星も重なっていましたので、とても幻想的、蠱惑的な世界で生きる本質的な要素が現れます。
幼い頃に叔母さん、乳母たちとも急な別れが訪れたというのもこの惑星配置から理解することができます。
そこに魚座の火星ですので、何かが知らぬところで自分を不安にさせるというようにも感じられたでしょう。
不確かな環境で生きているような感覚に取り囲まれているなかで、成長していったのだと思います。
魚座に火星があることで月と重なる海王星が活発化しますので自分が何か行動を起こす。不安な方向、不確かな方向へと動きやすいのでよりもっと拡大させてしまい、この世界から離脱するような行為へと邁進するような感じです。
そのような突飛なこと、自殺などを考えることが幼い頃や女性との出会いにはくっついている。融合を求める蟹座。この世界の集積場の魚座蟹座がなんでもありにしてしまう。
そして無の世界への希求、そこに回帰したい思いが生まれるかもしれません。女性との関わりには出てきてしまいます。
海王星は夢。幻惑ですし、お薬という意味もあるので中毒になってしまい、お薬代で借金を重ねていくのも理解しやすい配置です。お酒ばかり、編集者や作家たちと饗宴ばかりしていたというのはこの過剰な月からきています。楽しいのはわかる。
大きなお屋敷で小さい頃にポツンといたというような生活だったようですが、境界線の曖昧さをより感じやすい方に成長しやすいと思います。周りの人もそれが巻き込まれるというか、巻き込むために行為するというような性格があります。
女性への印象もどこかこのような印象、家族への憧れ、女性への憧れや思い込みなども強くあったと考えられます。しかし、女性というのはとても不確かな存在で犠牲的であるということも理解していたのだと思います。それが作品に描かれています。
太宰治が生きていた時代、特に作家として活躍した時代は戦争の期間であったということを忘れてはならないのです。
そして戦後にその女性の解放、権利が認められるということは太宰の作品創作への影響があって、今まで道理にはかけない。
それも太宰を追い詰めていったともいう人もいます。
双子座太陽は個人の資質を伸ばすことー作家の能力
火星は攻撃性や性的なエネルギーを表す惑星ですが、太宰治さんは、魚座にあり精神性、犠牲的なことにその意欲を使います。
怒りや大きな感情が動くとあらぬ方向へと行動するのです。あらぬ方向へというのはこちらの側の意見です。
死ぬの?まじで~と思うのですが、相手がそのように感じるのならそうしようか?という太宰さんの蟹座の月。海王星も月に重なりますし、金星も重なるということは大きな包容力でともに死にます。それが精神的な浄化と思う可能性は高いです。
そんなことしたら終わりなのですが、そういうものだったのでしょう。
やさしさを表現するために共に死のうとする。
魚座の火星という犠牲的な男性の集団(蟹座)、犠牲になる集団(月と金星の女性含む)ともいえます。
どれだけ死ぬことが生活の中であったのかということ。戦中です。世界のどこかで仲間が死んでいる世界です。
お金に困ったり、言い訳できない状態になるとすぐ自殺未遂を行い、皆が捜索するということもあったようです。
双子座水星と火星はスクエアです。とても感じやすいアンテナがあります。しかし幼いころだとあまりうまくアンテナが使えていなかったと思います。個人主義であり、表面的である双子座、魚座のたくさんの深淵なものを追い求める火星からは女性を振り回してしまう可能性。
深淵なもの、不可解な方向へと導く自分自身の謎を言葉にするというアクロバット的な仕方が生まれてきます。
この配置から太宰治は想像力、妄想的な創作の才能があったゆえに、この行き違いや思い違いと言うことをうまく人生で作品を作ることで使っていたようにも思います。
太陽も双子座ですので、25、6歳から35歳の間にこの太陽と火星の使い方を身につける経験が作品へと昇華され、たくさんの作品を創作する流れを作っていったように思います。
その一人目の奥さんが自分が病院に入院している時に親戚筋と過ちを犯してしまいそれがどうしても許せない。その男性は可愛がっていた存在であったらしい。自分自身の行ってきたことを振り返ってみたら?ということなのですが、なかなかできない。確かに感覚的に許せないかもしれない
その感覚的なことが嫌なんだともおっしゃっていたようです。
その後、内縁の妻が浮気相手と一緒になると二人で離縁をお願いしにきたのにも関わらず、男の側は家族に反対されて(当たり前であり義兄である太宰の奥さんと一緒になるって)呆気なく結婚話はなくなり、初代さんは太宰に女中で良いから戻してくれと懇願したらしい。この離縁をお願いしに来られる気にもなってみよというところでありますよね。
ある意味捨てられかけて、今度は私を拾ってくれよと懇願されてしまうという・・・・・・・・。
優しい、煮え切らない火星魚座に取り入ってくるのですね。
きっと過去の自分の行状を鑑みて苦しい立場です。
そのまま受け入れずあーだこうだとしていると初代さんがそれでは死ぬわとなり、俺も男として責任があると別れるにも自殺行為をしようとして、これは奥さんが別れるなら自殺するというので、夫としての責任感から一人でさせられないと思い一緒に死のうとしたらしく。これが魚座火星ですね。
そんなやさしさあるんだね?って感じだけど、1人にはさせられない蟹座月、そして犠牲的な魚座火星。
それが創作として姨捨という作品に残っています。
自分の人生に気づく土星回帰ー牡羊座土星-太宰治
若い頃の女性との出会いでの自殺事件は、特にどこまでもこの世あらざるほどの愛、無への希求への思いで振り回されているのです
この星の配置の抜け道、使い道を探している。
後に自分自身をキリストと吹聴したとありますが、確かにそういう思いがわいてきてもしようがないような星の物語性。
しかしそんな自分を冷たい目で見る自分をいたはず。
晩年という作品は、「この作品のために10年無駄に過ごした」と話していたそうですが、無駄というか必要であったというか、そういう時期であったというか。集団性からどのようにして脱却するかの営み。
姨捨という作品は土星回帰の時期。自分を生きようとした記録
姨捨という作品は先ほどの内縁の妻と一緒に死のうとしたが死なずに別れて生きるという方向へと転換する場面が力強く書かれているんです。
山の中で心中しようとしたが死なずに目を覚まして妻を探すとまるで山姥の髪型になって横たわる。
だから姨捨なのですか!
このタイトルも水星火星スクエア感を感じるんですよね。言っちゃダメ、みたいな。
「ああ、もういやだ。この女はおれには重すぎる。いいひとだが、おれの手にあまる。おれは、無力の人間だ。おれは一生,この人のために、こんな苦労をしなければ、ならぬのか。いやだ、もういやだ。別れよう。おれは、おれのちからで、尽くせるところまで尽くした。
そのとき、はっきりと決心がついた。この女はだめだ。俺にだけ、無際限にたよっている。ひとから、なんと言われたっていい。俺はこの女とわかれる。夜明けが近くなってきた。空が白くなり始めたのである。
かず枝も、だんだんおとなしくなって来た。朝霧がもやもや木立に充満している。単純になろう。単純になろう。男らしさ、というこの言葉の単純性を笑うまい。人間は、素朴に生きるより、他に生き方がないものだ。
かたわらに寝ているかず枝の、杉の朽ち葉を、一つ一つたんねんにとってやりながら、おれは、この女を愛している。どうしていいか、わからないほど愛している。そいつが、おれの苦悩のはじまりなんだ。けれども、もう、いい。おれは愛しながら遠ざかり得る、何かしら強さを得た。
生きていくためには、愛さえ犠牲にしなければならぬ。なんだ、あたりまえのことじゃないか。世間の人は、みんなそうして生きている。あたりまえに生きるのだ。生きてゆくには、それよりほかに仕方がない。おれは、天才でない。気ちがいじゃない。」
この自分自身の人間観、自分に対する認識を徹底的に変えざるを得ないほどの体験をもたらしたのです。
占星術的にいうと、この生、一人の人間としての限界っていう考えが双子座的なのです。
それでいいと。魚座火星だとこの世界のすべてのことに対応するぞという無茶ぶりです。この無茶ぶりは双子座に太陽や水星もある太宰さんには自己認識の不安定さを関係性において起こり続けます。そこからの脱却がなぜ起こったかというと、このタイミングが土星回帰の時期であったのです。
土星というのは借り物でない自分の人生への責任を作る惑星です。若いころは親や身近な大人がしていてくれる可能性。
しかし成長し生きていると土星が生まれたときに戻ってくる28歳前後は土星回帰といわれて、自分の生き方を自覚する年齢になってきます。
これからどのように生きるのかを問いかけられます。どのようにと言ってもその土星が配置されるサイン(星座)によるのでそれほどの自由性はありません。
この土星は何度も話に出ている蟹座月をスクエアでぶっ飛ばします。
集団性というよりも手探りでも自分から始まることを生きようと本人に語り掛けてきます。
私が牡羊座と蟹座の星の配置から見ると捨てる捨てられる関係が特にできやすいように思います。
蟹座という集団性を捨てる個人ともいえますし、個人が集団性に飲み込まれるという風にも読めます。
どちらにしても太宰治さんはこの個人と集団性の問題を抱えて作家をしていたといえます。
その個人が女性だったり兵隊さんだったり。どうしようもない大きな枠組みの中で犠牲的な立場に追い込まれていく人。特に戦中ですので今からは見ると本当に生きることの困難さはあった。本や知識でしか知らないけれど、太宰さんは私の祖母の年齢ぐらいですから、戦後の傷を抱えた兵隊さんがまだ町にいる景色が少しだけ残っていた私の世代からは少しくらいは想像できるのです。
女性として生まれるということの困難さを考えてみたりもします。
余談ですが、土星とは別の話として。
姥捨ての「人はこうやって生きているんだ」ということは大衆を表すノード軸と水星の重なりから理解できます。
そんな風に人は生きてませんよって思う人はいるでしょう、共感しずらいというか。
しかし、太宰さんから見るとそのように生きている人が多い。そういうものだなのです。
案外と後々この考えもつらくなったことが戦後の鬱的な状況を招いているようにも思います。
この後別れて結婚のほうへ向かうのですが、内縁の妻初代さんは昭和19年に青島で亡くなり、昭和20年4月に大陸のほうで亡くなったと井伏さんに聞いたらしい。
それはもしかして慰安婦として亡くなったのかもしれないらしく。。。
「太宰と井伏ー二人の戦後ー加藤典洋-講談社文芸文庫」を読んでずっと気になっていた。
この星の配置で太宰さんが罪悪感を感じないことはあるのでしょうかと思ったのが2019年。
人間失格というのはもう一人の太宰治さんの人生だったのかもしれないですね。
新しい人生に向かって作家として成功し始めている自分。
見殺しにしてしまったのではないかという。だって愛していたんだよ。
それでも戦ったのだ。
最後の入水の時に嫌がったのではないかという滑り跡のものがあるといわれますが、そうかもしれない。そうやって飲み込まれないように頑張ってきたのだからなって。








コメントをお書きください